私のおばあちゃん

コラム

こんにちは、特定居宅介護支援事業所奏Yです。
このコラムもシリーズ化しており、今回私がお話をさせていただくことになります。
そもそもなぜこの福祉の業界にいるのかといいますと、今から◯◯年ほど前一緒に住んでいた祖母が、
いやここはあえて「ばあちゃん」にしましょう。  夏休みの部活が休みの日にばあちゃんから
「お小遣いあげるから薬もらってきて」と言われ、かかりつけの近所のクリニックに薬をもらいに行ったんです。
地元ですから先生も看護師さんも受付の人も小さい頃から顔なじみで、「今日はどうしたの」と言われたので
「ばあちゃんの薬もらいに来ました」と言うと、「おばあちゃん1週間前にも薬もらいに来てるよ」と言われ、
その時に既に2週間分処方したと言われたんです。今回はりあえず1週間分だけ処方してもらって家に持ち帰りました。
薬を飲むばあちゃんは決まってルーティーンがあり、ご飯の前にテーブルの端っこにきれいに大きい順に並べてご飯が終わったら飲む。
それを家族全員がわかっていたので、様子を見ているとご飯前に並べるところまではいつもと一緒だったんですが、
何故かご飯前なのに薬を飲んでしまい、また新たに薬を並べご飯が食べ終わった後、あたかも飲んだことがないような
雰囲気で並べた薬を飲む。そんなことをしていれば、2週間処方された薬もあっという間になくなってしまうわけですよね。
この時、気付きって大切と感じました。

そんなこんなで「ただのばあちゃん」が「認知症のばあちゃん」に変わり(昔は痴呆症と言っていました。)
そこから私たち家族はいろいろな方々と会うことができ、相談していきました。
まず、市役所の福祉課、社会福祉協議会、家族の会、その当時は見るもの聞くもの全てが新鮮で興味があって、
私には全く別の世界に感じました。今では自分がケアマネになって行っている仕事です。

もともと小学校から始めたソフトボールで中学高校と続けていましたし、
その後もソフトボールを続けて実業団に行こうと思いましたが、ばあちゃんが認知症になったことにより、
いろいろな人とお話をすることでいろいろなことを学んだことで、当時17歳の私は「この福祉の世界ってもしかしたら楽しいかも」
と言うきっかけで始まったのが今からうん十年前のあの日です。

見るもの聞くもの全てが私にとっては新鮮で興味深く、1 +1が2になるのではなく、
ときには1 +1が0になったり10になったりすることもあって、
あの日ばあちゃんがボケたからこそ知ったこの福祉の世界でずっとずっといろんな人に出会い、
様々な家族と事業所とスタッフの方々と話をすることができ、関わっていく中で、
やっぱりいろんなものに興味を持たなくてはいけないんだなぁと常にアンテナを張っている状況です。

いろいろなことをよく知っていると言われるのですが、知っているのではなくて興味を持って疑問に思ったら
とりあえず調べてみようかなぁとか、何がどんなふうに使えるんだろうとかこれってもしかしたら違うことに
使えるのかななんて思いながらいつも仕事しています。

だからこれからも、もっと知識や技術や情報を得て、自分だけ知っているということではなく、
持っているものは全て出して、また新たに得ていきたいと思います。
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